『あたしおかあさんだから』論争
『あたしおかあさんだから』論争とは?
絵本作家の のぶみさんが 作詞。
歌は、 横山だいすけお兄さん。
Huluの「だい!だい!だいすけお兄さん」で歌われ
その後、SNS上で論争になってリリースが未定になってしまった幻の楽曲。
(プロモーションには、のぶみさんの絵が添えられる予定だったそうですが、これもお蔵入りに)
前回は、フジテレビ『ノンストップ』金曜サミット~2月16日放送での内容を引用して、客観的な世間の方の意見を載せました。
今回は、残り話し合われた内容と、僭越ながら5人の子を持つ母のことも載せさせていただきたいと思います。
パパの存在
『ノンストップ』の中で 若いパパ代表のユージさんが、出演されてて
「この歌は応援歌に聞こえる」
「きっとリアル過ぎて辛いよっていう批判なんじゃないかな。」と。
「お父さんとして(聞くと)悲しい気持ちになって・・・お母さんだからお母さんだからと(連呼されると)今の時代、お父さんも同じ(歌詞にあることは)お父さんもやっている。」
「でも、お母さんが(だけが)頑張っているよね(に聞こえて)」
お父さんが蚊帳の外と言うのが悲しい?感じでした。
「歌詞を[親っていうテーマにしてくれたら]」と、提案していました。
「お母さんも一人で負担を追わずに、お父さんと一緒に、二人で聞けたんじゃないかな?」
「(歌詞を)パパママにしていれば、そんなに辛いんだ。でも乗り来られる人が一緒にいるんだって気持ちになれるのでは。」
ユージさんの 言っていること、確かに~
でも、お母さんとお父さん、本当に苦労は同じかな?
ちょっと、世のお母さんたちの求めている[お父さんのこうしてほしい希望]と[ご本人の思う・やってるぞレベル]には、誤差があるのは・・・否めなかったりしてこれ傲慢な母の意見
ただ、二人で乗り越える~は、正解ですよね
また、その後の話し合いの中ではこんな意見もあって
三木さんは、
「お父さんでは、こんな議論成り立たないんじゃないですか。[おかあさん]って存在が大きいと思うんですよ」
井戸田さんも
「お父さんだったらめちゃくちゃ書かれそう、[アイツ使えね~な~]
とかさ~」
おかあさん像って、子供にとって大きいもの・・・か。
それは単純に言われたら嬉しいかな。
『あたしおかあさんだから』歌
再び登場の「ボカあさんといっしょ」さんの歌。
ご本人とご家族の写真がスライド。
結婚する前かな?恋人の頃の写真や子供が生まれてから~の写真や、二人目が生まれて~と、家族の歴史の写真を流してくれていて、とても分かりやすいです。
この「ボカあさんといっしょ」さんの「あたしおかあさんだから実写フルVr」を見て感じたのは、子育てはお母さんだけではないこと。
歌詞だけでは、お父さんの存在が 感じなかったけれど
「ボカあさんといっしょ」さんの映像では、二人ですよ子育てしている様子が映るので、自然にそう感じれました・・・
お父さんの子育てしている様子が、とってもいい感じでして、忘れてはいけない我が夫の存在を思い出させてくれました旦那の事 忘れてたんかい!?
ありもママの「お母さんスタート」話
5人も生んで「太っ腹なお母~ちゃん」と思う方われてもいるかもしれません。
(はいはい見た目は太っ腹~)
どうでもいい昔話ですが、少しだけお付き合いくださいm(__)m
結婚前の約束
私の田舎と主人の実家とは、高速でも早くて3時間半。
どちらかに近寄っては、双方の親に申し訳ないから、中間地点に暮らそうと決めました。
主人の仕事のこともあり、とりあえず、主人の実家付近に住むことになりましたが、子どもができる前には、中間地点に離れることを約束していました。
もしも、子どもができたら、義父母から離れづらくなると考えたからです。
妊娠
しかし新婚生活を始めてすぐに「ぽっ」 と1号を天から授かりました。
始めの約束通りとはイかないものです。
約束は、[なるべく早めに]となり。
[~遅くとも子どもが小学生になるまでには、引っ越すこと]と変更になりました。
子供が、人間関係を作り出す前に、永住の地へ引っ越すことを最終の約束にしたのです。
私は、つわりで動けなくて少し精神的に不安定になりました。
人並みのマタニティーブルーなるものを経験しました。
6か月に入った時、急にお天気が晴れたみたいに気分も良くなり、妊娠を楽しめるまでになりました。
たくさんの産着やお宮参り用ドレスを作ったり、たくさんの本を読んで、出産に臨み、育児生活をスタートしました。
(この時に作ったものは、大事に保管して全て代々の子供たちに着せました)
後にも先にもあんなにお腹の赤ちゃんの事だけに過ごしたことはありません。
ゆったりと満たされていた かけがえのない時間でした。
出産・育児スタート
赤ちゃんは、可愛かったし、入院中から とっても幸せでした。
産んだ翌日、二人目の話をして、実母に笑われたほどに余裕がありました。
産院から直接里帰りし、実家でスタートした子育ては、とても快適でした。
が・・・戻る時は、少し憂鬱になっていました。
まだ 若いころです。
実家から離れて暮らし始めた土地になかなか馴染めず、淋しい毎日。
また、結婚前までには良好だった義母との関係が、少しずつ重荷になってきていました。
私は、戻りたくなくなっていたのです。
里帰り後
里帰りから帰宅してそのまま~朝を迎えた日、主人は、遅番。
親子だけの本当の生活スタートでした。
ゆっくり布団で寝ていると、チャイムが鳴り、そのままガチャガチャと音がして、人が上がり込んできました。
仲人さんを連れて義母が入ってきたのです。
帰ってから掃除もしていない、お布団を敷いたままの部屋・パジャマのまま飛び起きた時には、部屋のドアが開けられていました。
・・・恥ずかしさと、理解しがたい状況にがっめん蒼白。
義母の無神経さに怒りが湧きました。
平静を保つこともできなかったように思います。
仲人さんがとても恐縮して何度も何度も謝っておられたことを思い出します。
よく言うと義母は飾らない人なのです。
それから義母が多い時で日に4回も家にやって来る様になり
終いには、電話やチャイムが鳴るのが怖く、ノイローゼ気味になっていきました。
育児ノイローゼというよりは、違う状態?
笑って流せる義母の言葉も、重く受け止めてしまったり、産後鬱ということになるのかもしれません。
きっと 身体の状態も関係して、いろんなことに余裕が生まれてこなかったのではないかと思います。
義母は、やって来ても1号が寝ていると、起きるまで滞在しました。
2~3時間 家事も何もできず、ただただ二人でテレビを見ていたりと、日々の自由が奪われていきました。
そうこうしているうちに、おばあちゃんに笑みを浮かべる我が子がとても憎くなってきました。
母が帰った後、我が子に怒鳴ったこともあります。
虐待に繋がりそうな精神状態に、1号を抱いてわんわんと泣いたこともありました。
嫁姑
母が悪いとは言いません、たぶん子供たちが大人になって、専業主婦の母にとってやることがなくなってきたころです。
そこへ 近所に息子夫婦がやって来て。
一緒に連れて歩ける嫁と、降って湧いたように孫までできて、天にも昇る思いだったのでしょう。
全ての想いが1号と私に向けられた、それだけなのです。
私は、1号が3~4ヶ月ごろに一度、実家に帰ったきり、戻るのが嫌になり、帰宅できなくなりました。
たぶん主人が迎えに来ても帰りたくないと言っていたと思います。
滞在が産後の里帰りを超える日数になりました。
これでは、義母もいい加減気づいてきます。
勇気を出して主人の実家に電話を掛けた時「どなたですか」と応対してくれず
名前を聞き間違えているふりを繰り返されました。
お母さんもお怒りなんだと、わかりながらも、イライラして、電話を切ろうと思いましたが、止めて食い下がり
やっとこ お惚けを解除した母に今までの不満をぶつけました。
義母は「わからないから、その時々に、言ってくれたらいいのに・・・」と、自分の無神経さを謝ってくれました。
生死の境だったかもしれないあの日
その後、主人が迎えにやって来ました。
車に荷を積み、乗り込んで両親にお別れをし、走り出して数メートル~そこから3時間半以上ずっとずっと泣き続けました。
酸欠で頭が痛くなる程に。
自分では、どうにもならないのです。
主人は、たまらず高速の退避場所に車を止め、「戻ろうか」と、言ってくれましたが、自分でも決めた事、そうもいかないからと、家へ向かいました。
翌朝、早番の主人は、心配しながら出勤。
部屋で1号と二人。
何も食べず、部屋からも出ず。
1号が泣いては、おっぱいをあげるだけ。
ずっと涙を流していました。
電話が何度か鳴りましたが、怖くて取れず、留守電のまま。
あまり鳴るので線を抜いたような気もします。
当時は、携帯電話なんてまだ普及してなかった時代。
夕方にチャイムが鳴ってガチャガチャと音がした時は、玄関の前で声を押し殺して震えていました。
すると聞こえたのは「〇〇ちゃん?」という私の弟の声でした。
実家の母が心配して弟にSOSを出したのです。
あの時、1号を抱いて泣いていた私・・・「よくマンションから飛び降りなかったな」と、思うほど精神的に追い詰められていました。
前回の記事中に山崎アナが言っていた、「あなたに会えたから」に添える予定だった、のぶみさんの絵は、「あの時の私だ」と思いました。
あの日の自分を思い出したのです。
お布団の上で1号を抱いて泣いていた・・・私の辛い思い出です。
その後の奮闘
その後、お母さんと対峙し、話し合い。
ジタバタして、ジタバタして、引っ越しを繰り返して、結局、実家に戻ってきました。
義理の両親には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
結局、淋しさから中間地点でもダメで、こっちに帰ってしまったのだから
義母が悪いんじゃなくて、単に私のわがまま。
ありもママは、子育てに対しての悩みと言うよりも、ただただ、淋しくて1号を抱いて泣いていた弱虫な母でした。
だから、人に偉そうなことは、言えません。
辛いことは、人それぞれ。
子育ての辛さは感じなかったけれど、違うことで苦しみました。
実家に帰って、私は、子育てをのびのびすることができ、5人目まで授かることができました。
あのまま、実家に帰らなかったら、我が家は、子沢山にはならなかったと思います。
当時を知る友人は、「あの時よくニュース沙汰にならなかったよね」と、今でも笑います。
そんな時を経て、今の[ありもママの原型]ができあがりました。
主人の存在
で、忘れちゃっていたパパの存在
主人が、一緒に戻ってきてくれなかったら、今の生活はありませんでした。
- あのままだったらノイローゼで、どうにか なっていただろう。
- 離婚ってこともあっただろう。
- 1号以外の子供たちは生まれてくることはなかった・・・
- ディズニー大好き~ヽ(^o^)丿なんて~絶対にならなかったと思う。
子育てには、主人の存在がとても大きいです。
今では、イクメンって当たり前だけれど、主人は、その先がけでした。
授乳の中の夜中こそ起きないけれど、オムツでもおんぶでも何でも来い。
保育園の送り迎えも、何のその、黒一点という感じで、とっても目立っていましたよ。
今では珍しくないけれど・・・昔は、パパのお迎えは少数派でした。
ただ単に、出勤と帰宅が重なるだけなんですけど~
園長先生には、超いいパパと思われていました準備はすべて私なのに~
自営業だけに、夫婦一緒の子育て体制は、悩みも感じないパワーがあったのだと思います。
保健所での「子育ての悩みはありますか?」に、・・・「経済的なこと以外特になし」と胸を張って答えれるのは、ちょっと恥ずかしいけど自慢です。
ところで、保健所のお尋ねに、なんで「経済的理由」を盛り込むのかが不思議です。
どうにも手を差し伸べられない内容なのに、なんで聞くんだろう?
保健婦さんも尋ねておいて・・・苦笑いするしかないんだから。
ディズニー好きなパパ
余談ですが、ディズニー好きなことも、+ポイント( *´艸`)
一度友人家族とディズニーに行った時に「〇〇ちゃんのパパみたいならいいのに~」と友人の子供に羨ましがられました。
なんたって、ママ友の半数以上が、こう言うのです。
パパが、「ディズニーに一緒に行ってくれない」または、「パパとは一緒に行きたくない」。
並ぶのが苦手だったり、混雑にイライラしたり、最終夫婦げんかになったりと、いいことがないというのです。
だから、パパ無し、ママと子供たちだけ行くというのです。
これには、驚きました。
ちなみに、子供たちもタイプにより、行きたがらないようです。
ママさんは、「行きたいけれど、子供が行きたがらないから行けない」という方も多々。
こんなに大きくなった今も「ディズニーに行く?」と聞くと、ひとつ返事で「行く~」と言ってくれる我が子たち(特に大きい子等)は、有難い存在みたいなのです。
だから、この馬鹿なディズニー大好き家族は、みんなに珍しがられ、羨ましがられるのです。
実は、この記事を悩みながら書いている途中に、「ディズニー旅行」行ってきちゃいました~(≧▽≦)/
で、体調悪かった主人は、楽しみ半減・・・
ひとり「リベンジする」「ぜったい、リベンジだ」と、低い声で小さく呟いています。
それをしめしめ・・・と思っているありもママです。
意見を言う前に恥をさらしましたm(__)m
今回は、私事ばかり書いてしまいましたが、
論争に参加するにあたり、自分というものを晒さないと と思い書きました。
『あたしおかあさんだから』は、いろんな立場の方が自分に当てはめて感じるから、いろんな反応が出てくる・・・。
私がどんなお母さんなのかをお伝えしたうえで、意見を述べたいと思ったからです。
長々お付き合いいただきありがとうございました。
次回は、ノンストップで話し合われた「子供に聞かせてもいいか?」について書きたいと思います。
今回はここまでm(__)m
つづく